ユダの悲痛な愛の訴え

去年あたりに夏目漱石の小説を読んでまだ読破できず、気分転換に三島由紀夫のエッセイを読むもまだ半分と大分ふらふらしています。そして読み終わってない本、途中の本があるにも関わらず今は私の好きな太宰治の本に手を出してしまいました。

冬って手がかじかむので読書する気分になるまで時間がかかる。夏の方が本を読む気分になるな〜、と言い訳をしておきます。

 

今日は私の大好きな太宰治の本の中でも読み終わった後心奪われたな...と感じたものを紹介します。太宰好きって言うと変な人かな?って思われることが多いのですが大先生ですから、私は太宰治の小説だけでなく生き様も好きですよ。心酔しております。なので贔屓目で語らせていただこうと思います(笑)

”申し上げます。申し上げます。旦那さま。あの人は、酷い。酷い。”

 冒頭からこうも惹き込まれる文はありますでしょうか。このお話はイスカリオテのユダ(イエスを裏切ったとされる)があの人(イエス)について愛憎入り混じる訴えをしている短編小説です。

このお話、口述で書かれたもので段落もないんですね。読みにくいかな、と思いきや口述だからなのかユダが読み手に訴えかけてるようでさらっと読めちゃいます。また”イエス”の名前は出てこず、あの人やあいつと書かれていますが話の流れで分かります。名前が出てこないのもこの小説の魅力の1つです。

 

ユダについては、まぁイエスの弟子の1人な訳でありますが銀貨と引き換えにイエスを売った訳であります。お話内のユダの心情、イエスに対する愛と憎しみ、自分が何を言っているのかもうどうしたらよいのか、自暴自棄になりながら悲痛に訴える姿に心奪われました。

最初にイエスを厭な奴だと、今まで自分がどれだけ頑張ってきたのに認めてもらえないと嘆くも、途中から愛している。あの人は私のものだ。などと独りよがりな愛を訴え、まただらしない、卑しい奴だなどと罵倒し、有名な”最後の晩餐”時のユダの心情はもう二転三転ころころ変わる。結局最後は愛してなどいない。復讐心を持ち、会計係ということもあってか世の中金だ!などと言う始末。

 

あぁなんて人間らしいんだ。太宰はこういう人の感情の移り変わりを書くのが上手すぎる。読み終わって心苦しいのだ。現代にも十分に通じるのである。読みながらもユダの声色や表情が目に見えるように分かる。

ユダがおかしい、のではなく情が強すぎて自分を制御できなかったのだろう。それほどイエスが大きく、自分の存在意義も”イエスのため”だったのだろう。イエスを殺して私も死ぬ。などと言ってるくらいですから。(なんともヤンデレちっくな台詞を吐くのだろう)

 

現代風に言うとヤンデレBL小説っぽいですよね(笑)いや、恋愛小説ではないのだけれども。分かりやすく言うとね。人を愛しすぎる感情は時に恐怖を生み出しますからね。BLと言うと夏目漱石の”こころ”なんかもそんな感じしますよね。BLという枠で読んでいるわけではないですが、性別関係なしにただ単に私は重く暗い話が好みなんです(笑)

太宰の小説は読み手に語りかけるものが多いけど、これは異色で”訴え”かけているもので。だからこそユダの必死さや心情の吐露が悲痛に伝わってくるのである。本当に素晴らしい作品であり、私の読んだ中では最高に好きなお話の1つであります。

 

もしご興味が湧きましたら、”駆け込み訴え”是非ご一読を。 

駈込み訴え

駈込み訴え

 

 Kindle版は無料です、ちなみに青空文庫でも読めますよ。5、10分あれば読み切れます。

私は角川文庫の走れメロス(2014のカドフェス)で読みました。私は太宰本を買う際は必ず角川と決めておりますが、このことについてはまた後日。表紙が一番素敵なんですよ。

 

話は変わりますが、1つ前の記事で部屋のことを書いた際、”猫”といれたからなのかいつも以上にアクセスがあり恐悦至極でございます。が、肝心の猫の画像を載せていなかったので猫に許可をとりこちらに載せておきます(笑)2/22は猫の日だったそうで、それも兼ねて!ぼけてますがこれが私のベッドを占拠している徹底的な証拠でございます。

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